内側を見つめなさい。
こう言われたら、あなたはどう感じるだろうか。
【自分のどこがいけないのか?】を
見つめはじめる方が多いのではないか?
とセッションをしていて感じる。
【問題】だと言われるから、
何かを変えないといけない、、
と感じるだろう。
そして、
今までの自分を責めたり、
親が悪いのだと他を責めたり、、、
確かに【自分を客観視する】事は大切だ。
何故なら、そこには
【感情に左右されていない自分】が、
自分をただ見つめているからである。
話を戻そう。
では、自分を責める、、というのは、
見つめる事になるだろうか。
いや、ならない。
責める、、という
【感情】が介入している。
これに入り込むと、
そちらのベクトルに向かい続けるのだ。
例えば、、、
では、
何故こんな風になったのか?を考えると、、、
わたしはそうなったのだ
などなど、、、
今度は【相手を責める】思考に入る。
これは、果たして
自分を客観視しているだろうか?
何度も言うが、
答えはNOである。
親は変えられない。
出会った友人も変えられない。
結局
【誰かの所為にしたいが、それは出来ないのだ、
全て自分が選んだのだ】
という事を腑に落とすためのプロセスでしか無いのである。
そうなのだ。
悲しいかな(笑)、
自分の人生、親を選んだのも自分。
その親だったから貧乏を味わった。
その親だったから暴力を振るわれた。
その親だったから、、、。
その親だったから、
自分はどうだったのか、
何を学んだのか、、と
【客観視】する事と【受け入れる】事が必要なのであり、
そこに感情移入は必要無いのである。
と言っても苦しい。
何故なら、、、
親の所為、他人の所為、
外側の所為にしていた方が実は楽チンだし、
そうで無いと気付いてしまうと、
誰かを許す、
親を許す事をしなくちゃならないが、
それがなかなか出来ないからである。
そして、
またまたオマケにその
【許せない自分】をまた責めるのである。
これでは、苦しいばかりだ。
結局のところ
【許すしか自分が楽チンになれる道は無い】
と気付くしか無いのである。(笑)
親を許すまでの過程として、
親に【出さない恨みの手紙】を書いてもらったり(笑)、
感情を出し切るワークをしたりはするが、
全て【過程】である。
インナーチャイルドの癒しと
言われるワークも、
これをやっているだけなのだ。
そうして、
あーだこーだと寄り道しながら、
あーだこーだと恨みごとをやってみたりしながら、
結局は【許し、受け入れる】になるのである。
そうせざるを得ないと気付くのだ。
外側を許すと、
不思議な事に【自分の全てを許せる】ようになり、
自分が大好きになる。
ここまで来たらしめたものである。
全ては【ただ見つめるだけ】であり、
【今、ここに生かされている】のであり、
【我々は自然の中の一部でしかない】のである。
この道のりを経て
【自分は自分のまんま、
そのままでオッケーなんだ!】
と言う事が心底、腑に落ちるのだ。
わたしは全てを許せると心に感じた日、
いつも見慣れた風景がキラキラ眩しく光り輝いた。
まるで何かに祝福されているように、、、。
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